サン・ジョヴァンニ・デッリ・エレミティ教会 San Giovanni Degli Eremiti


眼に痛いほどの青い空、強い日差し、5つの赤い丸屋根、茂るサボテンイチジク。
これがイタリアのキリスト教会だとこの写真を一瞥してわかる方がどれだけいるでしょうか。アラブのどこかの国のイスラム寺院だと言われても納得してしまいませんか。

ここはサン・ジョヴァンニ・デッリ・エレミティ教会。
もともと6世紀に創建されたグレゴリウス派修道院があった場所に、1136年にルッジェーロ二世の命令で、ベネディクト修道会のためにノルマン様式で建てられました。ベネディクト会は王から莫大な金銭的援助を受け、修道院長はノルマン王宮付属礼拝堂の主任司祭としての役割も務めていました。

13世紀に破壊されて以来、永らく打ち捨てられていましたが、イスラム風に改築されたのは意外なことにそれほど昔のことではなく、19世紀のことだそうです。

   

 

赤い帽子のようなドームの下は、写真右のようにがらんどう。
この部分は10〜11世紀の古い建物ですが、かつて壁面に装飾があったのかなかったのか、いまは四角く切り出された石が剥き出しで、この様子もますますイスラム寺院の内部のような印象を与えます。
が、実際にこの部屋がイスラム教のモスクとして使われていたという説は、かなり疑問が残るということです。 
   

単身廊の教会の内部もご覧の通りのがらんどう。

祭壇も十字架も何もなく、今はもう教会としては使われていない様子です。 

   
しかしながら、この場所がまごうことなくキリスト教会として使われていた痕跡がありました。

壁面の聖人画です。色も形も残っていますが、風化が激しく、さらに表面にはノミかなにかで傷つけられたような跡が。

王宮付属礼拝堂の主任司祭の属していた修道院の教会を、誰が、いつ、どうして壊したのでしょう。

 

 
   

ほとんど廃墟同然の13世紀のキオストロは、ベネディクト派の修道院の一部だったもの。小規模ながらオレンジやヤシの茂る緑豊かな庭園とそれを囲む2列円柱のアーチの連続が印象的です。
   

キオストロからふと空を仰ぐと赤い丸屋根が。

円柱の間を南国のそよ風が吹き渡り、高い空にはひばりが歌っています。

   
こうして写真だけで見てくると、その廃墟然とした趣から東洋人としては、つい「おお、諸行無常。たまにはポエムに浸ってみるか」などと考えたくなります。(笑)

ところがどっこい、旧市街のほかに何もない一角なのに、教会の手前には”BAYERN”などとお腹に書かれた大型観光バスが何台も停車していました。そしてきっちりと入場料を取ったのは、やはりすでに教会としての役割は果たしておらず、一つのモニュメントとして存在していると当局側は考えているからなのでしょうか。

オレンジの茂る庭園も、廃墟同然のキオストロも、がらんどうの建物内部も、”バイエルン観光社”のツアーで来たドイツ人の観光客でまさに押すな押すなの大盛況。人気(ひとけ)のない、枯れた感じに撮影するのはちょっと苦労したという、楽屋裏のお話でした。