パレルモ大聖堂(カッテドラーレ) Cattedrale 1


パレルモの旧市街の目抜き通り、ヴィットリオ・エマヌエーレ大通りに面したパレルモ大聖堂。

フェニキア領の港町ジズと呼ばれた古代パレルモは、紀元前8世紀にはカルタゴの重要拠点となり、その後ギリシャ、ローマ、ゴート、ビザンチン、とさまざまな民族によって支配されてきました。
そして878年イスラム教徒がシチリア全島を制圧、古代ギリシャ人たちが『パナルモス(万能港)』と呼んだこの土地は、イスラム帝国の重要な港としての役割を担いました。

しかし、1072年にノルマン朝のルッジェーロ・アルタヴィッラがパレルモを奪還し、再びキリスト教国としてシチリアの支配を始め、パレルモはそのノルマン王国の首都となって1200年代前半まで大いに繁栄しました。

この場所はもともとは古代墓地があったところで、その後キリスト教のバジリカが建っていたのですが、イスラム教徒によってモスクに変えられていました。ルッジェーロ一世のパレルモ奪還後にキリスト教会が再建されていたのですが、1184年パレルモ大司教のグァルティエーロ・オッファミリアの建設総指揮のもと、シチリア・ノルマン様式のパレルモ大聖堂として創建されました。

14世紀には4つの鐘楼が建てられ、15〜16世紀には南面、北面に柱廊が増築されるなど、その後何百年にも渡り増改築・改修が重ねられ、現在の姿になっています。

   

痛いほどに青く高い空、茂るヤシの木、強い日差し、乾いた空気、茶色い建築素材。

イスラム文化の影響を色濃く残したこの外観は、スペイン・アンダルシア地方の大聖堂もかくや、と同じイスラムの支配を受けたまだ見ぬ異国へと思いを馳せるには充分でした。

 

 
鐘楼は、大聖堂と通りを隔てて建つ大司教館をアーチで繋げています。  
   
  壁面の装飾。

写真ではわかりにくいですが、幾何学模様や唐草模様など、随所にイスラムの影響が見て取れます。 
   

「パレルモ大聖堂(カッテドラーレ)・2」