パレルモ大聖堂(カッテドラーレ) Cattedrale 2


大聖堂広場に面した南面の柱廊の浮き彫りは、15世紀後半に造られたカタロニア・ゴシック様式です。
ああ、だからまだ見ぬスペインの大聖堂を彷彿としてしまったんだ、と妙に納得。(建築学的にあってるんでしょうか?)
 

 

入り口上の壁には1426年にアントニオ・ガンバーラが製作した聖母子像のモザイクがあります。前庭の地面に南国の日差しが反射して、背景の金色のモザイクがまばゆく輝いています。 
   

 

今まで見てきたように、大聖堂の外観はイスラム文化とキリスト教文化が混じり合った、まさにパレルモの、いやシチリア島全体の複雑な歴史的・文化的背景そのものを見事に体現した非常にエキゾチックなものです。
当然のことながら「さぁ、中はどうなっているんだろう」と文字通り期待に胸を膨らませてうきうきしながら入ったのですが・・・。

教会内部はご覧の通り、外観とは全くかけ離れたネオ・クラシック(新古典)様式。18世紀に大々的に改築されたため、創建当時の面影は全く残っていません。
三廊式で角柱が並び、全体的に白っぽくがらーんとだだっぴろいその空間は、駅の構内か講堂みたいで、心底がっかりしました。パレルモ市民にも内部が不評というのは納得。個人的好みとしては、むしろミラノの中央駅の方がよっぽど風情があるぞ。
   

 

もちろん、いちいち細かく見ていけば、18世紀に製作された彫刻や浮き彫りなどそれなりに見どころもあるなずなのですけど、あまりの味気なさに脱力したため、内部の様子をきちんとお伝えできるほど見てはきませんでした。

ところがその教会内に、ドイツ人の団体さんたちがうじゃうじゃ群がっている一角が。

皇帝と王の霊廟で、ルッジェーロ二世
(1154年没)、エンリーコ(ハインリッヒ)六世(1197年没)、エンリーコ六世の妃・コンスタンツァ一世(1198年没)、フェデリーコ(フリードリヒ)二世(1250年没)、フェデリーコ二世の妃・コンスタンツァ二世
(1222年没)、アテネ公グリエルモ
(1338年没)の石棺が並んでいます。

   

これはその中でもフェデリーコ二世の石棺。はじめチェファルーの大聖堂に安置されていましたが、
1213年にパレルモ大聖堂に移されました。(後ろの金のモザイクの円柱に囲まれている石棺はその最初の妃・コンスタンツァ二世のものです。)

フェデリーコ二世は父・ハインリッヒ(エンリーコ)六世から神聖ローマ帝国の、母コンスタンツァ一世からは南イタリアのノルマン・イタリア王国の正当な継承者として1194年に生まれました。

彼の生まれ育った頃のパレルモの街はイスラムとキリスト教という東西の文化が融合し、コスモポリタンな気風にあふれたヨーロッパでも他に類を見ない国際文化都市として繁栄していました。
フェデリーコは幼い頃からの秀才で、歴史、哲学、神学、天文学、数学、植物学、詩作と楽器演奏を習得したばかりでなく、当時のパレルモの巷で話されていたアラビア語とギリシャ語も特に堪能になり、話すだけなら9ヶ国語、読み書き両方なら7ヶ国語を自由に繰ったというから驚きです。
このフェデリーコのもと、パレルモは文学・芸術的にもルネッサンスを何百年も先取りしていたといえるほど、文芸の香り豊かな宮廷としてヨーロッパ中にその噂が広まりました。

しかし、神聖ローマ帝国とイタリア半島南部・シチリアにまたがる王国の両方の正当な継承者という立場は、世俗の最高権力者としての皇帝権とその上に立とうとするローマ教皇権とのバランスを大きく崩し、皇帝側が有利に立つことになります。しかもフェデリーコはシチリアに中央集権制の王国を築き、それをイタリア本国全体にまで広げようとしました。
それを恐れるローマ教皇庁との間の衝突は避けられないものとなり、この皇帝対教皇という対立の構図は、いわゆるギベリンとグエルフィの闘争として全イタリアを巻き込むことになります。

戦乱に明け暮れるフェデリーコは1241年にはローマ攻略直前にまで迫りますが、そのチャンスを生かすことなく、1250年に亡くなります。遺児たちはフェデリーコの没後18年間ノルマン王国を守りますが、フェデリーコの描いた「統一イタリア王国」の夢は夢のままに終わり、結局南イタリアはフランス・アンジュー家の支配下に入り、以後600年間、外国の支配を受けつづけることになります。

文化的には200年後にトスカーナに興るルネッサンスを先取りし、政治的には600年後の統一イタリアという概念まで先取りしたフェデリーコ二世については、ここで数行で語り尽くせるものではありません。今後詳しく勉強したいと思っています。

   

ということで、なにやらやたらと語ってしまいました。(苦笑)

とにかく教会内部はあくまでも管理人の個人的趣味としてはとてもがっかりしたのですが、この明るい空の下、アラブ、ビザンチン、ノルマンの文化が融合したパレルモの、そしてシチリアの複雑な歴史的背景を肌で感じ、文芸の薫り高いフェデリーコのノルマン宮廷に思いを馳せるには絶好のモニュメントであることは確かです。

   

「パレルモ大聖堂(カッテドラーレ)・1」